自己紹介
こんにちは、大山ふみあき です。
現在(2020年8月)は個人事業として腰痛専門の出張整体や、健康・生活情報に関する情報発信を行っています。
理学療法士(リハビリ専門職)として12年間、整形外科で働いた経験や自律神経の研究を活かして、“健康で幸せな人生を自らつくる”サポートをしています。
現在のお仕事をするようになった経緯やモットーを自己紹介として書きましたので、ぜひ読んでみてください。
幼少から学生時代〜野球に打ち込んだ経験がベースに〜
生まれ育ったのは宮崎県延岡市という、日向灘に面した“水とみどりの街”。
産業は「旭化成」の総業工場群が立ち並び、その関連会社が数多くあります。
3人兄妹の長男です。
幼少期から両親を心配させる騒動がたくさんあって、今だに帰省するたびに当時の苦労話を聞かされます。
(動物園で迷子になったと思ったら、ゾウの檻の前でじっと見入っていたとか。流しそうめんの桶に落ちたとか。何度も骨折するし)
ぼくのこれまでの人生で、折にふれて「ケガ」とのつき合いがでてきます。
小学校から高校まで延岡で過ごし、この間は野球に励んでいました。
父親のサポートもあり、真剣にプロ野球選手を目指して練習。
イチロー選手に憧れて右投げ左打ちにスイッチし、バッティングセンターにも通いました。
今になって思えば、毎日の練習につき合い、試合にも欠かさず来てくれていた父親がスゴかったんだなと。
ただ、試合では目立った成績を残せなかったですね。
本番で1番の力を発揮するためには、「メンタル」が最重要だと思い知ります。
野球をとおしての経験や指導者との出会いは、今の自分をつくるうえで大きな礎となっています。
ケガ、コンディショニング、失敗、メンタル、動作分析…
テレビでプロ野球を観戦するときには、勝敗よりも、一人ひとりの選手の動きやクセが気になっていました。
春のキャンプを見に行っては、サインをもらうよりも、トレーニングや練習法のほうに興味がありました。
フォームを分析したり、コンディショニングを考えたりするのは、今の仕事にもつながっています。
高校生のときには、「読書感想文コンクール」で全国表彰されたことがあります。
(この頃から、本を読むこと、文章を書くことは苦ではなかったようです)
進路選択では、もっとスポーツ科学のことを知りたい、選手がケガを克服するサポートをしたいと願って、「理学療法士」養成科目のある大学に進学。
広島で4年間の学生生活を過ごします。
図書館でジャーナルを読んでいることが多く、花のキャンパスライフからは程遠かった気がします笑
就職〜ケガ、手術を経て
就職先は地元宮崎で「アスレチック・リハビリテーション」の盛んな病院へ。
ここで負傷したスポーツ選手の競技復帰へ向けたサポートに携わります。
また、人体の一つひとつの筋肉の動きや、関節の構造を徹底的に学びました。
大きな転機は、働き始めて2年目の冬。
あるきっかけで利き手の右手首を骨折(教科書どおりにポッキリいっていました)。
整復のために2度の手術を受け、しばらく満足に働けませんでした。
この経験で身を持って体感したのは、人の体においては「1+1≠2」。
つまり、人の体は日々変化するし、外から都合よく変えられるものではありません。
切って貼ってできるわけではありません。
それまでは鍛えれば鍛えるだけ良くなると思っていたので、これは衝撃でした。
メンタルや生活習慣の影響を受けて、コンディションが変わります。
いかに本人のベストなコンディションを引き出すかが、スポーツにも、生活や仕事にも大事かがわかりました。
しばらく右手が使えなかったので、左手を使う訓練をしました。
お陰で今では左手で箸を扱い、米つぶもつかめます。
そして、ケガをした人の気持ちがよくわかります。
仕事もままならず、野球もできなくなってうつになりそうでしたが、「手が使えないなら、走るしかない」と一念発起。
ここからマラソンにドはまりします。
フルマラソンやハーフマラソンに出走し、一ヶ月に300kmは走っていました。
ハマると、とことんやってみる性分なんですね笑
またこの病院では、腰・肩・膝を中心にたくさんの手術が行われていて、ぼくたち理学療法士は術後の体力回復や生活復帰をサポートしていました。
あるとき、ふと疑問に思ったんです。
「どうして同じケガをして、同じ手術をしたのに、患者さんによって回復の度合いやスピードが違うんだろう?」と。
自分が持てる知識とスキルをフル活用して対応しても一向に良くならない人。
その一方で、そんなに手を出さなくても、どんどん能力アップしていく人。
この違いは一体なんだ!?と思ったわけです。
生涯仰ぐべき師との出会い
そんな疑問をもって書籍を読んだり、勉強会に参加したりしていたとき、生涯仰ぐべき師との出会いがありました。
とにかくスケールが桁違い。
体も大きかったけど、何より心の器がデカい。深い。
師匠には、専門的な技術・知識を磨くことはもちろん、それ以上にセラピストとしての「生き方」を背中でもって教わりました。
残念ながら若くして世を去られましたが、いつでも見られている気がします。
自分はこの人に恥ずかしくない生き方をしているか、という戒めでもあります。
その先生が提唱したことに「自己医療」があります。
ケガや痛み、不調はある日突然、天から降って湧くものではありません。
それまでの生活習慣や心のあり方が、「自律神経」を介して身体へ影響します。
ですので、病やケガを完全に克服するには、自らの生活を改めていくのが不可欠。
セラピストとして今後も、この真相をお伝えしていきたいと思っています。
また師匠の勧めや職場の理解もあって、働きながら大学院で研究する機会をいただきました(修士号「心身健康科学」取得)。
このときの研究テーマは、「精神的ストレスと筋肉のこわばりの関係」
研究成果を論文にしたのがこちら⏬
*精神的作業負荷が立位時の体幹動揺に及ぼす影響—心身健康科学の視点からの検証ー(心身健康科学14巻1号、2018)
要点は、人は精神的なストレスを受けると、背中を中心とした体幹の筋肉の“こわばり”が増すということ。
体幹の筋肉が固くなって動きが悪くなると、当然、体のどこかに“きしみ”が起きます。
これが肩こりや腰痛の真相。
しかし宮崎から東京へ、月に一度通ったのは経済的痛手でしたね。
学費と旅費・交通費で当時の貯金をほとんど使い果たしました笑
この頃はとにかくメチャクチャ働きました。
朝7時に職場に行って、帰るのは21時。
とにかく夢中だったし、そういうものだと思っていました。
大事にしたい価値観を思い知る
ただやっぱり無茶は続かないですね。
心身の不調もあって、環境を変えることになりました。
一度ハマってやりだすと、自分でもコントロールを忘れる性分…
31歳で結婚。
結婚を期に、自分はどんな価値観を大事にしたいのかなと考えるようになりました。
そのときから考えているのが、
- 家族が、そのときにベストな選択肢を躊躇なく選べるような経済的自由
- 本当に大事なものを大事にできる生活
- 今やっていることが、次につながっていく働き方
心機一転、外来で内科整形外科のあるクリニックで働き始めました。
ここでは通常の理学療法士業務に加えて、部署マネジメントや採用活動にも携わらせていただきました。
経営者のビジョンを聞いたり、地域での多業種との関わりもあって、とても貴重な経験をさせていただいた3年間でした。
毎週の経営者が集う勉強会にも参加させていただき、「幸せな成功者」になるためには、ふだんの心構えや生活を整えることが大切だと身近に学ぶことができした。
そこで教わったのは、「苦難は幸福の門ー苦難福門ー」。
命に生きぬくその門は、狭い、入りにくい、又苦しい、痛い、みにくい。
それがひどければひどいだけ、しっかりと足をふみしめて、門の扉を強くおし開こう。
にっこり笑って、エイと一声 かけ声勇ましく、かたい扉をおし開こう。
その奥には光明、歓喜の世界が待っている。
苦難は幸福に入る狭い門である。
つまり病気や災難、人間関係不和など生きていればさまざまな苦難に見舞われます。
それらの苦難は、生活の不自然さや心のゆがみが反映した赤信号。
なので苦難に直面したときには、嫌がったり逃げ出したりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。
自分の心や生活を改めれば苦難は解決し、幸福、歓喜の世界が開かれる。
という教えです。
現実を受け入れ、自分とまっすぐ向き合えるかを大事にしています。
純粋な情熱をもとに、独り立つ
この頃から自分の中で、“自分の足で独り立ちたい”という想いがむくむくと湧いてきていました。
病院という組織、医療という制度で守られているけれど、その一方で限界(制約)も感じるようになっていました。
患者さんの訴えにこたえきれない無力さ。
もっとチャレンジしてみたいという希望。
そういった意識が入り混じり、もう自分でやるしかない!と決意しました。
そこから1年間をかけて独立起業への準備を進めました。
腰痛セミナーを自主開催したり、YouTubeで情報発信したり…
ここでもすばらしいメンターと志同じくする仲間に恵まれましたことが後押しになりました。
☆当時開催したセミナーの様子がこちら⏬
そしていよいよ2020年3月、勤めていた医院を退職し、勇んでフリーランスとして踏み出したのですが…
世界は新型ウイルスが猛威をふるう真っ最中。
当初計画を進めていた人を集めての講座や集客はすべてストップ。
ビジネスモデルを根本から作り直す必要に迫られました。
でも、これがチャンス。
改めて、自分に何ができるのか?何をしたいのか?
世間が何を求めているのか?
これから私たちの生活がどうなっていくのか?
といったことを見つめ直す好機となったんです。
オンラインで何か仕組みを作りたいな、もともと得意な「書く」ことを仕事にできないかな。
そう思っていた矢先に、Webマーケティングの先駆者との出会いがありました。
地方でWebを活かして立派なサービスとして成り立たせられることを教わりました。
そこからWeb製作やコピーライティングについて教わりながら、自分のコンテンツとして作り上げてきました。
モットー
一瞬に生きる
元プロ野球選手の小久保裕紀さんが座右の銘としていた言葉。
ぼくは“より良い”人生を送るためには、「心のあり方」が大事だと思っています。
心のあり方とは、「今、ここ」に集中して生きること。
将来を心配したり、過去を後悔したりすることは心を乱す最たる要因です。
科学的には「マインドフルネス」として、その効果(仕事の生産性アップやうつ症状の軽減など)が実証されています。
人はつねに、「今、この」瞬間にしか生きられません。
意識を「今、ここ」にとどめ、自分のやるべきことに集中したいという思いから。
心身一如
心と身体は分かち難いひとつのもので、お互いが関連しあいながらその状態を保っている。
今は亡き師匠の教え。
この言葉に出会って以来、ものごとがうまくいかないときや体が不調のときには、心のあり方が間違っていなかったかと振り返るきっかけになっています。
会うべき人には必ず会える。それも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないうちに。
教育者・哲学者 森 信三先生の言葉。
森先生の名著『修身教授録』は、人生の岐路に何度も読み返す座右の書となっています。
33年の人生を振り返ってみると、いつでも人に恵まれてきたなとつくづく感じます。
自分の進む道を照らし、人としてのあり方を示してくれたメンター。
志同じく目標に向かって励む仲間。
我が家であたたかく見守ってくれる家族。
どれが欠けても、今の自分はありませんでした。
本当に感謝。
だからこそ、これから自分の果たす働きが、誰かに喜んでもらったり、役に立ったりするものにしていきたいと思っています。
本文をここまで読んでくださったあなたと、今後もよいお付き合いをできたら嬉しいです。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
趣味
- 旅行(旅先での散策)
- 読書(ビジネス書、小説。好きな作家:池井戸潤)
- トレッキング(屋久島を歩いたときの感動は忘れられません)
- 筋トレ(体づくり、パフォーマンスアップの知識を自分で実験)
- 新たな学びや出会いを楽しむ