こんにちは、大山ふみあき(@ThanksDailylife)です!
目標をもってがんばっていても、“自分なんて…”、“やっぱりダメかも…”と思うときがありますよね。
社会情勢がコロコロ変わり、先の見えない時代だからこそ、自らの心をしっかりと保っておくのが大事。
そんなとき「言葉のチカラ」が大きな助けになります。
そこで今回は、次の言葉をご紹介します。
「未見の我(みけんのわれ)」
今回は「未見の我」の言葉の由来や意味についてご紹介します。
心折れそうなときに自分自身を奮い立たせたり、スピーチのネタとしてもご活用いただけます。
「未見の我」の意味、由来
由来は〈吉田松陰〉の言葉
「未見の我」は、致知出版社 人間学用語集によると次のように定義されています。
未だ出会ったことのない自分。試練を経て、成長した先にいる新たな自分。
もとは幕末の武士・思想家・教育者として知られる、吉田松陰の残した次の言葉に端を発します。
未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。
心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。
必ず達成します。
運命を造りなさい。
吉田松陰といえば、「松下村塾」を主宰し、木戸孝允や高杉晋作、坂本龍馬といった明治維新で活躍した若者に多大な思想的影響を与えたことで有名。
その吉田松陰が、未だ見ぬ自分(=未見の我)を目指して本気で研鑽に励むことで、ものごとを成し遂げられると説いた文です。
\異国の文明を学ぶために黒船に乗り込もうとまでした吉田松陰の魂のメッセージ。迷っている人の胸に響き、行動に駆り立てられます。/
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いま自分のおかれた境遇や立場がどうであろうと、鍛錬と成長の果てにある能力はまったくの未知数。
「まだ見ぬ自分」を目指して、今日よりも一歩進んだ自分を目指して励んでみませんか。
あなた自身の可能性を尊重する
官僚や知事も務めた安積得也の詩集にも「未見の我」の言葉が出てきます(以下、『一人のために』より一部抜粋)。
二、未見の我
昼なお暗き大森林の
何千億の樫の葉から
一番よく似た二枚を採って較べて見る
不思議だ
一枚だって同じものはないのだから
植物学者の語る事実が
鋭い暗示を
人間個性の問題に投げかける
人皆(ひとみな)の声が違うように
人皆の可能性が
おのがじしなる持ち味を蔵している
愕(おどろ)くべき真理だ
お互一人一人が
夫々に天下一品の特質を
おおいなるものから授かっているとは
人みな英雄!
そうだ
内に隠れて見えないけれども
現在(いま)こそ内に眠り底に潜んで
自分にも他人にも発見(わか)らないけれども
五尺の我のうちにこそ
未見の我の偉大な姿が隠れているのだ
ありがたや
自分の中(なか)には自分の知らない自分がある
強くして能あり
清くして正大なり
現在の我とは比較にもならぬ
未来相の我だ
私はもう私を見くびらない
弱小の私
無能の私
あやまち多い私
しかし私は未見の我の故に
私の全身全霊を愛惜する
彼はつまらぬ奴だ
馬鹿なまねをしやがった
しかし私は彼を見棄てない
彼の内なる未見の彼を
私は限りなく尊重する
いかがでしょうか。
“私はもう私をみくびらない”、
“彼の内なる未見の彼を、私は限りなく尊重する”
といった言葉を読むと、自ら自分の未来を信じて、今に行動する勇気が湧いてきます。
「未見の我」を目指して、どう行動するか?
同じように外を見回してみても、まだまだ自分の知らない世界があります。
だからこそ、毎日を漫然と過ごすのはあまりにもったいない。